禍を滅する時

糸魚川市での大火災。

見ないようにしなくてはならない時に、
視なくてはならない現実がある。

視たくない真実と、見えてしまった真実は
人の世に起きることは、誰かが誰かを殺め
誰かが、何かを願うという。


祈りを当たり前に残すと、人の世には
奇跡と人災と、天変地異と生殺与奪とが
交差する場所に、人の命が行き交い混じる。

視ていた場所ではない、知り得ない命が
我が身の代わりに、そこに居て、人とは
自らのさだめに、そこを見せるのか?




忘れた訳じゃ無い、知らないで居た現実。
知りたくは無い惨事に、知り得た世界がある。


新潟県糸魚川市に起きた大惨事、大火災は
自らの生命に繋がる遺伝子を知る惨事となり

私は、忘れたことを祖母に詫びる。自分には
血縁、その代えは居ない。生きて出会う血は

報道の場所で、私の父の血に繋がる人、人…。

消防団にいた血を見つけてしまった私に、
父の血を見つけた喜びは無く、何かに
繋がる答えを視た。私は生きていく…。


父に繋がる血を見て、生きれている今を
忘れては成らない。祖父母の血を見つけた。

糸魚川市の消防団にいた、父の血縁に?
私の血が、私が鈴木家と岩崎家の血である
現実を、新潟にあることを見せつけられた
糸魚川市の大惨事。父を視た、血を見た!


私は、新潟県に血がある家の人間だった、
それを認識させられた。新潟にいる親族に
幸あれ、と願いながら鈴木家の血を生きる…。


鈴木千生こと、宏枝



Chisei’s ライフ

https://suzukihiroe.amebaownd.comから お引っ越ししました。鈴木霄, ペンネームで書いています!

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