山本達彦を聴きまくった20代。
ペンフレンドは、聴いていたし?
ニューミュージックと言われた音楽。
「シンガーソングライター」のはしり、
AOR を知らないと、分からなくて…。
二十歳前後から、世の中は(1980年代は)
シンガーソングライターがバンバン出てきて、
ニューミュージックは、日本の音楽業界を
支えていた。テレビに出ない、生放送には
出ないシンガーソングライターがいて
日本のミュージシャンは、AORがベース。
あの寺尾聰さんの音楽は、仕事をしていた
ファッションビルで、毎日流れていたし…。
山本達彦という音楽の世界は、現象を呼び
不思議な音楽を広めた(笑)。歌謡曲ではなく
何か、イメージが違うみたいなので、私には
不思議な音楽になり、はまりこんでいた(笑)。
幼なじみの家にいたらしい、新宿区にいた
山本達彦さんの存在は、私には不可解な
存在であり、知り合ったのは小さな時?
中学時代の山本達彦さんが弾いていたピアノ
を聴いていた幼稚園児だった私は、独学で
ピアノを弾いていたお兄ちゃんは変な人で、
お兄ちゃんは、いつも2つくらいの
クラシック音楽を、学校から帰ると弾いて
いた。家の中で幼稚園児が騒いでいる中でも
何気にピアノを弾いて、独学でマスターして
中学校から帰宅し、制服を脱いで私服に
着替えると、ピアノの前に座り弾いていた。
そのお兄ちゃんが、山本達彦という名前に
なってシンガーソングライターになっていた。
22歳の時に入院中に
カセットテープレコーダーを病室に持ち込み、
野球中継がない日には、病室でベッドで
山本達彦の曲を聴いていた(笑)。
安全地帯と、来生たかおさんの
アルバムをダビングして、
カセットテープを持ち込み聞いていた!
1983年の9月のこと。
懐かしいよ。
千生でした。🎼
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