知らなかった血

祖父母の血にいた
海軍大将、米内光政氏は

父の血に似ている。海軍に憧れていた父が
母との結婚記念日を、1960年の海軍記念日に
していたのも、頷けるのである。私は、今日


これを確信した。祖父母の血に繋がる
軍人は、米内光政氏の血であることを
本日、私は認識をした。


大西瀧次郎、山口多聞、米内光政へと
向かい、祖父を辿り、血を探した!


重要文化財の鈴木家に疑問を抱き、祖母が
話していた、兵庫県、関西や静岡にいる顔。

関西、北海道、新潟、福島、東京新宿区、
祖父母の血に繋がる顔を歴史から辿り

あらゆる学者に父に似通っている顔がいた。
藤白鈴木家から、北海道の金子鴎亭氏。


父は、米内光政氏と金子鴎亭氏の血に
繋がるのであった。父の血は、鈴木家の
血を引きながら、鈴木姓ではなく分籍や
離散により、別姓に多数いたようである。


鈴木姓には血の繋がらない他人が多数いて、
別姓に、鈴木家の血を引いた人たちが多数
いたようである!?


玉置宏氏、藤城清治氏は父の血縁らしい。
ふたりをミックスしたら、父に似てくる。

池部良氏は、父を知る人たちが父のことを
池部良氏を何気に父に似通っているように
話していた。

父は、金子鴎亭氏と池部氏のミックス。


佐藤姓、伊東姓、玉置姓、あらゆる地に
離散と婚姻を繰り返してきた家系のようだ。


新潟、福島、静岡、関西に親族ありて
とうとう見つけた父の血。「海軍記念日」を
結婚記念日とした父の、ルーツが見えた!!


米内光政は、父の両親を表した存在であった。
陸軍軍人だった父が、海軍士官に憧れていた。
その父の中にある、海のイメージは

ガガーリンの「地球は青かった!」を、
彷彿とさせる。

父がいた証に、私のハンドルネームは
鈴木霄になったのかな。




知らなかったのだが。
私の日野時代の小学校の教頭先生は、

米内光政氏に似通った面立ちをし、父には
血縁らしい。日野時代の日光の修学旅行で
一緒に写っている教頭先生は、父の親戚で
あり、米内光政氏を彷彿とさせる人だった!


父に繋がる血を、50代になり
見つけたこと。嬉しく思う。


鈴木千生


写真は、父
鈴木教之こと、福丸(1981年1月)56歳当時


Chisei’s ライフ

https://suzukihiroe.amebaownd.comから お引っ越ししました。鈴木霄, ペンネームで書いています!

0コメント

  • 1000 / 1000